本:子供の「脳」は肌にある

子供の「脳」は肌にある、山口創、光文社新書、2004

引用:(p93~):



~「共感」~相手と同じ(または類似の)感情が自分にも起こることをいう。だから、たとえば相手が悲しくて泣いていたとすれば、ことらも同じように悲しさを感じるのである。

~「同情」~必ずしも相手と同じ情動を感じることではない。先の例でいえば、相手が悲しくて泣いているのを見たときに、「彼女は悲しいんだな」と相手の気持ちを理解するのが同情である。~
~相手の情動を頭で理解している、というレベルにとどまっている。「同感」に近いものだ。

 これに対して、真の共感というのは、「身体的共感」ともいわれるように、相手の情動を身体レベル(情動レベル)で深く感じることをいう。



(p104)

 つまり、模倣やふりというのは、それ自体が身体による理解であり表現なのである。頭の中にあるイメージによって導かれ出てくる、という性質のものではない。むしろ、身体による理解や表現が、イメージや言語(表象)というものを形作っていくといえるだろう。

~一九六五年に心理学者のワロンによって~身体どうしが出会ったときに生じること、それは片方の側の認知メカニズムに還元できるような現象ではなく、相手が身体でもって「する」ことが、自分の身体に染み込み、染み込んだものが再びこの自分の身体の「する」ことへとつながっていく、そうしたいわば身体どうしの交感なのである、と。


(p105)

 人と出会ったときに起きる身体の交感が、相手の身になって相手を理解し、自分の感情として感じるための基礎になる。交感されたメッセージは、筋肉の運動として体に蓄えられ、時間と空間を超えて別の場面でも表出されるのを待っているのだ、ということができよう。





引用者:kurage0147130:


 僕は他の人に「同情」していたことになる。「共感」ではない。頭で他の人を想像していただけになる。作業所で他の人を観察してみて、「共感」で成り立っているらしいことがわかった。

友達だからとか、仲間意識でやっているのではなく、個としてやっているのだろう、やっているらしいけれど、「共感」を時々出しながら暮らしているらしい、他者と交感しているらしい。僕には理解不能なことを行っているらしかった。

今回、この同情・共感というくくりを覚えたので、そのフィルターで他の人のやり取りを見ることができるようになった。


身体で世界を感じたり(僕は自分内ひきこもりを永らくやってきた)、身体で他の人を感じたり、猫ボランティアで覚えた交流のようなものを使っていけばいいらしい。猫体験はここにきて、すごく大事なものになってきた。すべてのベースになるかもしれない。


 カウンセリングの先生には、身体の大事さをずっと言われてきたけれど、この本で少し理解するようになった。あと、「うつのマインドフルネス実践」の体験とかを踏まえて
(・ゆっくり肩回し、ゆっくり歩きを通して、身体の筋肉・骨の動きを感じようとしている、それくらいゆっくり動かしている、この2つはほぼ毎日やっている)、
身体で感じることの大事さに近づきつつあると思う。これらは、幸せ列車の幸せ客車に乗るための切符だろうと思う。



・別の話になるけれど、作業所で、裂き織りが終わり(バッグに張り付ける部分を作った。バッグ自体は洋裁のできる人が作る。たぶんテーラーSG氏が行うと思う。)、また、裂き織りの整経をやらせてもらったが、糸が絡まりスピードダウン、やる気がないように見えたと思う。

 家に帰って、振り返り、僕は頭を使っていないのが問題だと思った。モノづくりの本で、作業が終わると、フル回転だった頭が疲れで痺れるくらい使う、みたいな内容が書かれていた。僕は手仕事に頭は要らないのかと思っていたけれど、そうではなく、頭脳を使うらしい。その意味で言うと、僕はまったく頭を使わないので、大馬鹿ということになる。

 いつも頭を使うように改善していきたい。毎日の、毎時にやっていないと改善しないと思う。気をつけて身に付くようになりたい。いい本はないのかな? ちょっと検索してみたいけれど、必要ない本がたくさん出て来ると思えるし、ピックアップできるか。

 読まなくても、頭を使うように気をつけたいとは希望している。かなり注意が必要になると思う。できるかな。


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