自分で心を手当てする方法 ガイ・ウィンチ ☆実際(第5章 悩みが頭から離れないとき―とらわれ、抑うつ的反芻)

2017年5月2日(火)
○自分で心を手当てする方法 ガイ・ウィンチ かんき出版 1500+税

第5章 悩みが頭から離れないとき
―とらわれ、抑うつ的反芻

(kurage0147130):

ここのところを実際にやってみての感想

 今日は昨日よりはぐっと調子がよかったようだ。だから調子の悪い日のための、昨日のような日のための実際の結果というわけにはいかなかった。

・ いくつか。きょうはnuno-zoriの達人、その隣の男はあまりお喋りをしなかった。それで昨日と同じ条件ではない。カメラをぐっと引いて、同じ部屋で作業する皆をフレームに入れて他者の目で回した。使えるとは思った。

 まず、巻き込まれを防げる。話をしだして、2人が、それを耳に入るので聞くという僕の関係性が、カメラを引いて他者目線の客観的なフレームなので2人と引き離して存在できる。ワンクッションはいる格好になると思う。これがリフレーミングの効果だと思った。


・ あと、今日は新・唯一無二が休んだので僕が皿洗いをした。そのとき、女性が変なごみの捨て方を三角コーナーで行った。僕はいやな棄て方だなと思った。そしてこれを反芻してしまう僕の巻き込まれが、リフレーミングで和らいだ。

女性と僕は流しで一緒にいたけれど、女性は嫌な棄て方、僕は被害を受ける役というのを、リフレーミングで眺めてみると、振り返ってみると、同じ場所にいて・小さな集いを開催して(作業所に通っているという同時性・同じ場にいる)首を突っ込んでいる大きなくくりのなかでの仲間と思えると再解釈した。女性と僕は貴重な経験をしている・同時性のある集団の一員としての仲間だとくくれる。


 他にも女性がずいぶん後からきて食器を無言で置いていったけれど、これも繰り返し反芻しそうだったけれど、嫌だなと。でも、リフレーミングで見ると、再解釈すると、先と同じように円居(まどい)をする僕たちなわけで、そんなに毛嫌いする必要もない。


・ そして僕は、彼女らのために健康を祈った。この祈りを入れることで本のように怒りを中和することに成功したと言えると思った。(この日のこの時は)

 怒って反芻するところを、リフレーミング・祈りで見事に新たな解釈を与えられたと思う。Nuno-zoriの達人たちに対しても帰るころは祈った。怒りにまみれそうだったので、中和を施した。




☆まとめ:

 このように本のやり方をやってみて、今回の今日は成功した。ただ、昨日とは条件がかなり違った。反芻・怒りを取り除くのに、リフレーミングと祈りは有効だと感じた。

このあたりをさらに訓練し、毎日利用することで鉄のように使える道具・鉄壁に磨き上げたいと思う。どのような状況下でも成果を出すようになりたい。一定の条件しかダメだというのでは困る。一番悪い状況下でかろうじて持ちこたえられる道具が欲しい。

毎日利用して、毎日磨き上げる努力が必要なのだろう。毎日成果を出し続ける。そのようにしたい。
                    

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