ACT(アクト)をはじめる (第6章 おわり)

2017年1月21日(土)

ACT(アクト)をはじめる―セルフヘルプのためのワークブック、スティーブン・C・ヘイズ、スペンサー・スミス、星和書店、2010

第6章 マインドと<あなた>(中編)
 買ってはいけない



p136/137/138
脱フュージョンの技法の例(つづき)



引用:p138:

・評価できないものを探してみる
 自分が、ネガティブな評価に飲み込まれていると気づいたら、部屋を見回してみましょう。そして、その気になれば、どんなモノもネガティブに評価できることに気づいてください。
どうせなら、別の方法でやってみませんか? 評価というのは、進化の過程でマインドが獲得した働きにすぎないのです。



(kurage0147130): 確かにネガティブに見て何も得することはない。僕の癖になっている。たとえ明日死んだとしても、直前まで笑っていることもできる。殺すやつに向かってニヤッとできればベストだろうと思う(現実にはできないだろうけれど、理想)。皮肉だろうけれど。不敵な笑顔をプレゼントして死んでいく。ニヤッをプレゼントしておさらばする。そいつに僕の笑顔を抱えてもらう。皮肉のプレゼント。処理に困るだろう。それくらいしか残すものはない。

 ネガティブを引きずっても、自分が引き受けなければならない。ならばポジティブにいきたいけれど、むずかしい。




引用:p138:

・その考えは、私にどんな影響を与えてきただろう?
 あなたがある考えに賛同しようとするとき、少し立ち戻って問いかけましょう。「この思考は、私にどのように影響を与えてきた?」。そして、あまり役に立ったことがなければ、次のように問いかけましょう。「私は、何に従うべき? 私のマインド、それとも、私の体験?」


(kurage0147130): 僕はダメだと、他の人が仲良くやったり会話しているのを見て思う。そういう時がある。調子の悪いとき、作業所で。そんなことを思うとき、こころは下を向いている。自分は別だと、皆から離してみる。孤立の考えに埋もれる。
これは、ネガティブな錨(いかり)を降ろすこと以外、全く役立たない。常に僕の足を引っ張ってきた。僕の好きな考え(逆説的に)、孤立を好む。そういう考え方をしてきた。この考えは無能で、まったく馬鹿らしいくらいマイナスだ。何とか軸足を変えたい。





引用:p138:

・カードを持ち歩く 
3×5cmの大きさのカードに、あなたにとってやっかいな思考を書いて、持ち歩きましょう。このカードは、あなたが人生を管理する能力を持つこと、そして同時に、自分のヒストリーとともに生きる能力も持っているということの比喩として使ってください。



(kurage0147130):僕はダメで孤立している。がカードに書く言葉。まったく重い言葉だ。これはマインドの言葉。変えたり、コントロールできるのか? 打ちのめされるばかりの気がするが。何ごともやらなければ始まらない。
 定期入れに、書いて入れてみた。ここから始まればいいが。





引用:p138:

・鍵を持ち歩く
 あなたの持っている鍵を、やっかいな思考や体験に見立てましょう。鍵を使うたびに、鍵を1つの思考としてみてみましょう。そして、鍵と思考をいつも携帯するようにしてください。



(kurage0147130):
 僕はダメで孤立している、という厄介な思考をいつも持ち歩くことで、対象化し、何とかアプローチしようとする戦略だろうか。なんとかしたいなあ。






p139-141
○自分自身の脱フュージョンの方法を作りましょう

苦しんでいる思考:僕はダメで孤立している。

 家族といるときや、パソコン入力しているとき、音楽を聞いているときはこの言葉を悲壮に感じない。

① 家族といて、僕はダメで孤立していると言っても、リラックスしているし、家族に埋もれているので、孤立感は感じない。

② パソコン入力していて、ことばを唱えても、僕は橋をかけよう、改善しようとしているので悲壮感はない。

③ 音楽を聞いているときは、音楽にシンパシーを感じていて、世界に入り込んでいるので、ダメや孤立は感じない。




 宗教はどうだろう。神様と契約するとか。仏様の弟子とか。そういう集団の一員になると心に思いうかべる。

 変形すると、自然の神々、古事記の神々の一員になるとか、そういうやつ。ようは、心の中に集団を思い浮かべ、その集団の一人になるみたいな。装置を作って、装置の恩恵を受ける。心に安全装置、安心装置を設置する。

 そうすると孤独ではないし、その集団のストーリーの中でダメだとは感じない気がする。

 僕の考えだと、神様たちからかっぱらってくる、思考法や集団一員の考え方を、という感覚が最初に思い浮かぶ。それらを合成し、自分の装置を捏造する。

 正規の手続きを踏まないで、アンダーグラウンドでやりたい気持ちがある。神様の寄せ集めみたいな。五木寛之はそのようなアイデアをどこかで書いていた。(ちょっとニュアンス違いますね。五木氏に失礼か?)

 宗教的なるものは、使えるなら使いたい。でも、勉強するか、拾い読みして盗むかしないといけない。なんせ、心の拠り所がなく、神経が狭いですから。その辺はずっと変わらない可能性もある。だから、借用して建築するのはどうだろう。ネジ曲がっている気もするが。この方面では、覆面、裏道で行きたい。かなり拗(ねじ)けている。

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