ACT(アクト)をはじめる 2017/01/14(Sat)

2017年1月14日(土)

ACT(アクト)をはじめる―セルフヘルプのためのワークブック、スティーブン・C・ヘイズ、スペンサー・スミス、星和書店、2010

第6章 マインドと<あなた>(中編)
 買ってはいけない




引用:p130:




♦いろんな声
 脱フュージョンのエクササイズには、~

 とてもゆっくり言う


 違う声で言う
~ここでは、その思考についてあなたがどう感じるかを変えることは重要ではありません。重要なのは、
それらはただの「思考」であり、どう対処するかは「あなた」次第で、
あなたの言語マシーン(=マインド)」次第ではないということに気づくことです。






(kurage0147130):他の人といると、他の人に圧倒されたり、自分のマインドの声に打ちのめされたりするけれど、ここで言っているのは、それはただのマインドで自分次第で対処していけるということ。





引用:p130~


~ 
歌にする
 あなたが苦しんでいる思考を歌にしてみましょう。~「悲しみで僕は何も見えなくて」などどんな歌でもかまいません。でも、あなたの思考をばかにしたり、皮肉ったり、批判することはやめてください。ここでは、あなたが「歌詞」を歌うように、それらは「考え」なのだということに、気づくことが大切なのです。







(kurage0147130):ということは、マインドに圧倒されることは良くなく、やはり気持ち・考えを歌にしたりして、粘着、乗っ取りのような状態を脱することが大事なのだろう。僕は自分の声・心の声・心の考えにやられっぱなしになっている。乗っ取られている。これを止めるための技術をとにかく身に付けないといけない。





引用:p131:


~どのエクササイズも目的はすべて同じです。あなたが言語マシーンの動きを素早くキャッチできるように考えられたものです。決して「言語マシーンが生み出すことばの世界にあなたを巻き込む」ことが目的ではありません。

♦「記述」vs.「評価」
 私たちの考えは無限の広がりをもつため、思考を外の世界の一部捉えてしまう傾向があります。そして「自分がそうしたのだ」ということを忘れて、自覚しないうちに自分で作り上げた外の世界に押しつぶされるように感じるのです。この循環を断ち切るよい方法は、「記述」と「評価」の違いに気づくという方法を学ぶことです。








(kurage0.147130):僕は、作業所で外注の布地の一本を切ってしまった。と思っている。たぶん正しい。その時圧倒されてしまった。皆がどう思うか。布地はどうなってしまうか。自分で後に実験して、破れることはない、布地に5ミリくらいの幅で点々が浮き出ることになる、というものだった。傷はつけた。そして周りに非難されて、取り返しのつかないことをしたという感覚に圧倒され、自分の考えに乗っ取られた。

 これをこの部分に当てはめると、自分の取り返しのつかないことをしたという考えを外の世界のものだと捉え、自分で考えた他者の反応と、事の大きさという自分の考えた世界を、外の世界に押し潰されるように感じた。自分で考えた、大変だ、大変だという声に圧倒されてしまった。切ったことと、大変だには関係がないのに自分でそれ(大変なことをしたという考え)を外の世界だと思い、圧倒された。






引用:p131:




 「記述」とは、モノや出来事の直接、目に見える側面や特徴に関連する言語表現のことです。こうした側面や特徴は、モノや出来事の一次的な特性です。つまり、それらはあなた固有のヒストリーに依存するものではありません。別の言い方をすれば、これまでのあなたとそのモノや出来事との相互作用がどうであれ、それらの側面や特徴は存在するということです。








(kurage0147130):外注の布地の糸を一本誤って切って、使用しているうちに点々が浮き出るようにしてしまった。お客様に不利益を与えた。これが記述。






引用:p132:




 「評価」は、事象やその側面に対するあなたの「反応(リアクション)」です。私たちは事象を比較し、評価のラベルを貼ることができます(良い/悪い、好き/嫌い、耐えられる/耐えられない、失礼/丁寧、狭量/寛容など)。評価は二次的な特性です。二次的な特性は、私たちとモノや事象、思考、感情、身体感覚との関係によって決まります。







(kurage0147130):取り返しのつかないことをした。皆怒るに違いない。お前には任せられないといわれるかも。信用を無くした。お客様に排除されるかもしれない。皆に嫌われる。辞めたい。逃げたい。大変なことをした。これらは「評価」。






引用:p132:



 私たちの苦悩の大半は、「評価」を「記述」と取り違えることによって生じています。私たちは、自分の評価的な意見が一次的な特性であると信じ、それによって、それらが記述であると考えてしまいがちです。しかし、その評価をもっと詳しく見ると、たちまち怪しげな点が見えてきます。






(kurage0147130):大変なことをした。顔向けできない。は、評価であり、記述ではない。切ったこととは関係ない、自分のマインドの考え。

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